【医師のキャリア/転職】院長就任に誘われたらどうすべきか【訪問診療】

院長ブログ


教授選に敗れた時、残念な気持ちはありましたが、むしろ自分自身と向き合い、今後のキャリアを考えるいいチャンスでもありました。

 

向き合ってみるとこれから学問の世界で生きていくのもいいけれど、むしろどこかの病院長として病院全体の運営、経営に携わってみたいという強い希望があることに気づきました。

 

この気持ちが生じたのは、関連病院への出張で、医療をマネジメントすることの面白さ、病院長としての生活の楽しさを実感していたからだと思います。

単身赴任は避けたかったので、茨城県で病院を探し始めましたが、求人があるのは個人立の小さな病院の院長職だけでした。

 

その時45歳だったわたしが、個人病院の雇われ院長になれば、定年までの20年、その病院の院長として働くことになるでしょう。

そこにやりがいを感じ続けられるかと考えた時、避けたい道だなというのが本音でした。

徳洲会との出会い

そんな、いろいろな可能性を探していたところに、親友の医師から「徳洲会もあるぞ」と誘われたのです。

 

1月も末のある夜に、徳洲会の人事担当の方を囲んで、その親友とわたしと鍋をつつきながら、医療にかける思い、病院運営をやってみたいことなどを、つれづれなるままに語りあっていたところ、急にその人事担当者が「これから徳田虎雄理事長(当時)に会いに行きましょう」とい言ったのです。

 

普段は一人っ子で育ったせいもあってかなり人見知りのわたしが、国会議員であり医療界では伝説的な人物の徳田氏に、いきなり会いに行きましょうと言われても腰が引けてしまいます。

 

一度は断るのですが、その時は、親友が一緒だったこと、まただいぶお酒が入っていて気が大きくなっていたことなどもあって、会いに行くことにしました。

 

土浦発20時過ぎの特急に乗って上野まで行き、迎えの車に乗って、永田町にある徳洲会本部についた時は21時を過ぎていました。

 

そこには、ぎょろっとした目で、わたしをじっと見つめ、ゆっくりと力のある声で語り掛け、そして時々この世のすべての困難を背負っているような溜息を「ふーーーー」と長く吐く姿の徳田氏がいました。

この息を長く吐く習慣は、その頃発病しつつあったALSの症状を緩和するためだったのかもしれません。

 

いずれにしろ、徳洲会が掲げる「命だけは平等だ」の理念や、離島・へき地医療にかける思いなどをお聞きし、その後、徳洲会のいくつかの病院を見学することを約束し、深夜0時を過ぎたところで、家まで秘書の運転する車で送ってもらいました。

人見知りのわたしが病院長になる決断をした理由


徳田虎雄氏に会った翌週から、各地の徳洲会の病院に見学に行きました。

徳田氏には「千葉あたりの病院の副院長として入れてもらい、ゆくゆくは院長職に挑戦したい」との希望を伝えたので、まずは千葉徳洲会、千葉西徳洲会病院、その後徳洲会のリーディング病院である湘南鎌倉総合病院、葉山ハートセンターにもいきました。

 

葉山ハートセンターでは、従来の日本では見られないようなロケーションと建物の美しさにド肝を抜かれました。

いきなりの院長職、しかも単身赴任に戸惑い

その後2月最初に再び、徳田氏と面会した時には、「徳洲会にお世話になります」と伝えたのでした(余談ですが、徳洲会を紹介してくれた親友のT氏も「野末が入るなら、おれも入るよ」と言ってくれ、ともに徳洲会入りしました)。

 

そんなわたしに徳田氏が発した言葉は「副院長などやっている暇はない。余目(あまるめ)に院長で行け」でした。

「余目ってどこですか?」と尋ねるわたしに、「山形だ。2月11日に見学に行ってこい」とのこと。

 

単身赴任になることには抵抗感もありましたが、2年後には成田に徳洲会の病院ができるから、そこに戻ってこいという言葉もあり、とにかく見学に向かいました。

縁なき地での決意

羽田空港からわずか1時間の庄内空港に降り立ってみると、そこは雪景色。病院に向かう道すがらの田んぼは雪に覆われています。

 

わたしが将来院長となる庄内余目病院につくと、あまり人の気配がしません。それでも手術室では虫垂炎の緊急手術が行われていて、そこには筑波大学の後輩で、バレー部の後輩でもある女医さんが偶然いました。

 

そしてなぜか病院の見学はそこそこに、わたしは羽黒山に連れていかれました。とてもきれいな五重塔があるということで。

夕方の帰りの飛行機に間に合うかどうか不安になりながらも、車で羽黒山に上っていく参道の両側に目をやると、そこには懐かしさを覚える光景があったのです。幼少の頃、何度も目にした「○○坊」という看板の連なり。

しかも雪の中で、夕暮れ迫り誰も歩いていない。

 

そんな雰囲気が、地元・長野市にある善光寺の宿坊街の景色をフラッシュバックさせたのです。

まるで故郷に戻った感じでした。この時、余目への赴任を決意したのです。

余目から戻ったわたしは、早速人事担当の方に、決意を伝えました。

そのあとに徳田氏に会った時には、小料理屋に連れて行ってもらいました。

 

歓迎会かななどと考えていたらとんでもない。余目をやめたいと言っていた循環器内科医の翻意を促す場だったのです。

「一緒に、辞めさせないようにしよう」と。

「院長就任に誘われたらどうするべきでしょうか?」への私的結論


病院長になるというような重大な決断を下す場合にも、逆に誘う場合もスピード感をもって行うことがいい。

何とかなるさという吹っ切れた気持ちで、あれこれ考える前に飛び込む覚悟も大事。