【訪問診療 体験談3】伊藤さんと奥さんは、ずっと一部屋で最期の時をともに歩みました 〜あとどのくらい生きられますか?〜

クリニックブログ

伊藤さんは七十代になったばかりの方。

 

数か月前に肝内胆管癌と診断されたけれど、手術療法や抗がん剤の治療は希望せずに、週に数度、病院に点滴に通っていた方です。

 

それがいよいよ病院の外来に通うことが体力的に不可能になって、私たちに訪問診療の依頼が来たのです。

 

診察に伺うと、庭にある駐車場に面した一部屋に伊藤さんと奥さんがいて、伊藤さんご自身はベッドに静かに横になっていらっしゃいましたが、奥さんもベッドわきに静かにたたずんでおられました。

 

お話を伺うと、伊藤さんは一日中ベッドに横たわっていて、トイレだけは奥さんの手を借りて、かろうじて行くことができるとのこと。

 

腹部には鈍い痛みがあり、食欲はなく、果物を少し食べるのが精一杯とのこと。まさにがんの末期状態と言えるような状況でした。

 

意識はもちろんはっきりしていましたから、私たちにできること、またしてほしいことを伺いました。

 

するとやはり痛みの軽減と点滴を希望されました。

 

病院から出されていた痛み止めは飲み薬でしたので、近い将来服用できない状態になってしまうことを予想し、徐々に貼り薬に置き換えていくことにすると同時に、増量していくことにしました。

 

薬剤師さんも私たちの診察に同席し、病院からの処方の残りと、私たちの新たな処方の確認をしてくれました。

 

きめ細かなお薬の調整をしようとすると、変更を伊藤さんや奥さんに理解してもらうのにどうしても時間がかかるし、また間違いも起こりやすいのですが、このように薬剤師さんが同席してくれると、懇切丁寧に説明してくれますし、くすりを服用した後の効果判定などもしてくれます。

 

点滴については、訪問看護ステーションから看護師が来て、当初は二日に一度、その後連日点滴することにしました。

 

こんないろいろな職種からのサポートがあり、そしてご本人、奥さんの頑張りがあったからでしょう。

 

私たちが訪問に入ってから二か月間は、時折嘔吐はするものの、少量の果物を食べることができ、点滴も一日おきで、トイレにもどうにか通うことができ、小康状態を保つことができました。

 

しかし、二か月を過ぎたころから、徐々に、徐々に、具合が悪くなってくるのが感じられました。

 

私たちが訪問しても、目を開けている時間が短くなり、またトイレにも行かなくなって、おむつになってきたのです。

 

そんな様子を拝見しながら、私にはどうしたらよいか考え続けている課題がありました。

 

それは、伊藤さんの最期を、どこで迎えるかということを、いつご本人や奥さんにお聞きしたらいいかということです。と同時に、奥さんにはそろそろ危ないということも伝えなくてはなりません。 

 

通常は、退院時に退院調整会議があり、その際に自宅で病状が進んだときに病院に戻るのか、それとも最期まで自宅で過ごすのかということをご本人あるいはご家族から伺って、その後希望に沿うように手はずを整えていくのですが、伊藤さんの場合は外来通院の状態から入ったので、このことに関しての意向をうかがうときがありませんでした。

 

このような場合、たとえば玄関までご家族が送ってきてくれたようなときに、病状の説明とともに、最期をどこで迎えたいか、また、呼吸停止などが起こった場合には、救急車を呼ばないように。

 

などの話をするのが通常でした。ところが伊藤さんが療養している部屋に、奥さんは片時も離れず座っていて、またその部屋の縁側から私たちは出入りしていたために、奥さんが私たちを見送りにどこかに出てくるという機会も皆無でした。

 

どのように伝えたらよいのか。

 

正直悩みました。

 

ついに私は決断しました。奥さんと一緒にいるその部屋で、ベッドに横になっている伊藤さんに直接尋ねることにしたのです。

 

「伊藤さん、一生懸命果物を食べたり、点滴をしたり、いろいろ頑張ってこられましたけれど、残念ながら、少しずつ体力が落ちてきています。それは伊藤さん自身が一番よく感じていらっしゃると思います。たいへん申し上げにくいのですけれど、そろそろ、最期の時の場所を決めなくてはいけない時期になってきています。つまり、このままこのご自宅で最期を迎えられるのか、それとも、お世話になった病院に、そろそろというときに、入院したいのかということです。いかがいたしましょうか?」

 

かなり厳しい話でしたが、ご本人もそして傍らで聞いていた奥さんも、静かにうなずいていらっしゃいます。

 

そして、伊藤さんはゆっくりと質問されました。

 

「私はあとどのくらい生きることができるのですか?」

 

じっと伊藤さんは私を見つめています。私は目をそらさず、しかし、初めて経験したこの答えにくい質問にどう答えたらいいのか、頭の中はフル回転しています。

 

ごまかすわけにはいきません。

 

でも、今までの経験から、本人が予想しているその時期と、予想される実際とは大きく異なっている場合がほとんどであることを知っています。

 

あと二週間ぐらいかなと私は思っていたのですが、それをダイレクトにご本人にぶつけることは得策とは思えません。

 

私は逆に聞き返しました。

 

「伊藤さんはどのくらいだと感じていらっしゃいますか?」

 

伊藤さんは意を決したように、「あと半年ぐらいかなと」とおっしゃいました。

 

やはりそうでした。

 

ここに大きなギャップが存在したのです。

 

私はそのお話を聞いて、すぐにこう答えました。

 

「伊藤さん、わかりました。私の予想はもう少し短いものです。ただ、これから先は神様しかわかりません。未来のことですから。あと、いよいよその時が近づくと、五日前ごろから、ご自分でもなんとなくわかるようです。今まで経験したことのないような体の異変だぞ」と。

 

私のこのような答えで伊藤さんが納得されたかどうかはわかりません。

 

静かに目を閉じられました。

 

奥さんがそんな様子の伊藤さんを引き継ぐように、「あなた、このままここで過ごしていきたいんでしょ?」と語りかけ、伊藤さんはわずかにうなずかれます。

 

私は加えて次のような話をしました。「わかりました。最期まで責任を持って診療していきますので、安心していてください。もしもその時が訪れたら、救急車を呼ばないでください。訪問看護ステーションか私たちの緊急連絡先にご連絡ください。駆けつけますので」

 

 伊藤さんはますます眠っている時間が増えてきました。またいつも奥さんがいる方向を向いているために、耳が痛くなってきてしまいました。耳の周囲をフェルトというものを使って高くして、耳に褥瘡などできないように工夫しました。また呼吸困難も出現してきたので、酸素も吸うようにしました。呼び掛けには目を開け、言葉も普通に話すことができるのですが、言葉の数は減っていきました。

 

そして体力が弱っていくのがよくわかりましたが、その後は一度も「あとどのくらい生きることができるのか?」といった質問を受けることはありませんでした。

 

そして変わらず穏やかで、つらい症状もしっかりと説明され、私たちもその症状の緩和に全力を傾けました。

 

呼吸が止まったとの連絡を受け、そのお宅までの道を向かいながら、私の脳裏には、「あとどのくらい生きることができますか?」と尋ねた時の伊藤さんの秘めたる、生きたいという意欲。

 

そして私の返答を聞いた時の、何とも言えない悲しみをたたえた目。

 

この時の万感の思いを込めた表情が、ありありと浮かんできました。

 

私の目から、少しだけ涙が流れ、視界には群馬県の田舎の景色が広がっていました。

 

伊藤さんのお宅についたとき、やはりいつもの部屋に伊藤さんは横になっていて、やはりいつものように奥さんは傍らに正座されていました。

 

お亡くなりになったことを確認して、「ご臨終です」と申し上げると、奥さんの目にも一筋の涙が流れていきました。

 

最期まで、静かな、お二人でした。

 

野末からのひとこと

 

がんにり患しているとわかった場合、かつては病名を告げること(病名告知)さえも憚られました。

 

現在は病名告知、病状告知については、多くの場合行われるようになり、治療の選択などに患者さん自身の意思を反映できるようになりました。

 

ところが、あとどのくらい生きられるかといった予後告知、あるいは余命告知についてはなかなかうまくいっていません。

 

もともと未来のことであるために、あくまで予想であり、実際とかけ離れることが多いという理由もあります。

 

また、そもそも患者さん自身に、告げる必要があるのかといった問題。

 

それと、ここで書いたように患者さん自身の期待と医師の予想とは多くの場合かけ離れているということなどが、主な要因ではないかと思われます。

 

しかし私は、予想以上に生きるという若干の希望を残しつつも、予想される期間についてははっきりとお話しすることが多くなってきています。

 

その方が、具体的にいろいろなことの準備ができるからです。