【訪問診療 体験談8】家族には、私の溌溂とした家での姿を残したい 〜半日前に病院に戻り、旅立ちました〜

クリニックブログ

小林さんは五十代半ばの女性。

 

私たちのクリニックで拝見している患者さんの中ではかなり若い方に入ります。

 

卵巣がんで、大掛かりな手術を受けてから三年。

 

その間も抗がん剤治療を受けてきましたが、残念ながら私たちが拝見した時には、局所再発、肺、肝、リンパ節転移がみられ、また腸閉塞気味で、食事も十分にとれず、頻回の嘔吐がみられていました。

 

中心静脈栄養用のポートが挿入されていて、かなりの栄養がそのポートから点滴として投与されていました。

 

そんな状況でしたので、ご本人もご主人もこれ以上の抗がん剤治療は望まず、とりあえずの自宅退院を希望され、あい太田クリニックに在宅での主治医の依頼が来たのです。

 

退院調整会議に伺うと、ご主人はすでに決心されていたのでしょう。

 

ご自宅で看病すること。その時が来たら、自宅で看取ることも辞さないこと。などを淡々と話されました。

 

ただ、お子さんたちはすでに自立されてほかの場所に住んでいるので、基本的にはご主人が仕事をしながら、奥さんの面倒をみることになり、その点が心配だとのこと。

 

それでも職場が近いので、昼休みにも自宅に戻って様子をみることはできるので、何とか自宅に戻したいとのご希望でした。

 

わたしたちも同じような状況の患者さんを何人も診てきましたので、ご自宅での療養は何とかなるので、できるだけ早く退院していただいたほうがいいと申し上げました。

 

調整会議が終了して、小林さんのところに面会に行くと、ベッドに横になってぐったりされていました。

 

嘔吐が続いていることと微熱があって、体調は良くないこと。

 

ただ、退院した時には中心静脈ポートからの投与は夜間だけにしてほしいとの依頼をされました。

 

昼間にできるだけ動きたいからとのことでした。

 

退院調整会議で得た情報、小林さんのご様子から、小林さんは気丈に頑張っているけれど、そんなに長くはないだろうということ、吐き気がおさまったり、熱が下がるまで待っていては、退院の時期を失してしまうだろうことを再度感じました。

 

ですから、ご本人には、いつでも自宅で受け入れる準備はできているので、できるだけ早く退院されたほうがいいのでは、とお伝えして、病室を後にしました。

 

退院調整会議が終わって、クリニックで退院日決定の知らせを待っていたのですがなかなか連絡がきません。

 

今までの経験から、微熱が下がるのを待ってとか、吐き気がなくなるのを待ってとかしていると、結局退院できずに病院でお亡くなりになってしまう方も少なからずいらっしゃったので気が気ではありませんでした。

 

途中、病院に電話をしてみるとやはり吐き気がおさまらないので、退院を決断できずにいるとのこと。

 

これは無理かもしれないなあと半分あきらめたところで、退院調整会議からちょうど二週間で退院することになったとの連絡を受けました。

 

ほっと胸をなでおろしながら、退院の日に早速お宅に伺いました。

 

やはりご自宅で拝見する小林さんの表情は明るく、ベッドの上で起き上がって私たちを迎えてくれました。

 

トイレも何とか自分で歩いて行けるとのこと。ただ、微熱は続き、吐き気、嘔吐も続いているとのこと。

 

症状は消えないけれど、その症状に何とか耐えていることができたので退院したのだと感じました。

 

腸閉塞の状況でしたので、嘔吐、吐き気を防ぐために鼻から胃の中まで管を入れてたまった消化液を出すと楽になるかもしれませんと提案すると、

 

もう少し待ってほしいとのこと。

 

また点滴は夕方につないで、朝まで点滴液を流し、昼間は抜いてほしいとのこと。

 

内容ははっきりわかりませんでしたが、片付けなければいけないことがあるとのこと。

 

だから昼間は胃管や点滴がつながっている状況にしてほしくないとのこと。

 

自由に動きたいとのこと。

 

なるほどなあと思いました。

 

まだまだお若い小林さん。やりたいことは山のようにあるでしょうし、また死期が近づいているならやっておかなければいけないこともたくさんあるに違いありません。

 

病気の治療をしている間は、その治療に全力で当たっていたに違いありません。

 

とても自分がこの世からいなくなることを認めることもできなければ、想像もできなかったでしょう。

 

ですから自分の人生をしまうためにしなければいけないことなどに思いがいたる時間も余裕もなかったに違いありません。

 

それが、このようになって、自宅に帰る状況になったこの時に、たくさんの想いが沸き上がってきたに違いないのです。

 

しかしながら、翌日に伺ったときには小林さんは、疲れ果てた表情をされていました。

 

一日に二回くらい嘔吐し、また腹部の痛みも増してきているようでした。

 

貼り薬の痛み止めを使っていましたが、痛みの増強に、痛み止めの増量が追い付かない状況です。

 

それでも、鼻からの管は希望せず、夜間の点滴のみで何とかしのいでいきたいとの希望を述べられました。

 

その五日後、再び伺うと、ついに鼻から管を挿入することを希望されました。

 

挿入してみると約200mlの胃液が流出し、吐き気は少し楽になったようです。

 

その翌日には、モルヒネの皮下注射も始めました。何とか症状を緩和したかったのです。

 

このようないろいろの工夫と小林さんの頑張りで、ようやくいろいろな症状が軽減してきました。

 

吐き気も遠のき、腹部の痛みも半分ほどに減ってきました。

 

私たち医療スタッフの間にも、何とか自宅で最期を迎えることができるかもしれないという、期待が出てきたときに、小林さんご自身の口から思いもよらぬ言葉が出ました。

 

「先生、いろいろありがとうございます。症状はおかげさまで少し和らいできましたけれど、やはり体のだるさは少しずつ増してきているようです。今は何とかトイレまで行っていますが、もう少しするといけなくなるような気がします。そうすると私の排泄したものを夫や息子に始末してもらわなければなりません。それはつらい。それと、この家は皆で楽しく暮らしたところです。この家の思い出の中に私が弱っていき、死んでしまうという思い出を残したくありません。ですからお願いです。最期は病院で眠るようにいきたいです。それと、家に帰るともう少し元気に動き回れるかと思いましたが、とてもそれどころではありませんでした。夜間の点滴などいろいろ配慮していただきましたが、もうあきらめました」

 

私は、想像もしなかったこのような発言に驚くとともに、でも心の中では「それはそうかもしれないなあ。自宅で最期を迎えるだけが、その人の幸せとは限らないのだなあ」と納得する面もありました。

 

ですから、その日クリニックに戻ってすぐに、少し前まで入院していた病院の地域連携室に電話し、再入院の希望があること、そしてそれはそれほど遠くない将来であることを告げ、準備をお願いいたしました。

 

病院側からも、「いつでもいいですよ。外来部門に伝えておきますから」という温かい言葉をもらい、早速ご家族に電話でお伝えしました。

 

その三日後、週末が終わるのを待って、小林さんは再入院しました。

 

私たちが月曜日の朝に訪問するのを待たずに、ご主人の車で、入院してしまったのです。

 

「最後にご挨拶したかったなあ。どのくらい頑張ってくれるのだろうか」なんて考えていると、なんとその日の夕方、病院から連絡が入り小林さんが旅立たれたとのこと。

 

私は、その報に接し、しばし呆然としてしまいました。

 

まさかそれほど早いとは。

 

いやいや、本当にぎりぎりまで自宅で頑張り、もう駄目だというところで、救急車すら呼ばず、ご主人の車で病院に向かい、おそらく眠るようにして逝かれたのでしょう。

 

自分の最期の瞬間だけは、家という思い出の場所に残したくないという思いで、小林さんはそのような行動をとられたのでした。

 

あっぱれとしか言いようのない感慨を持ちました。

 

野末からのひとこと

 

ご自宅で最期の時を過ごし、そのまま自宅で旅立たれる方がほとんどですが、中には小林さんのように、自分があまりに弱ってしまった姿を、家族の思い出の中に残したくないと考え、最後の最後で、病院に戻るという方もいらっしゃいます。

 

私は、これはこれでとても素晴らしいと感じました。

 

一方、同じように、お亡くなりになる直前に病院に戻るかたの中には、その理由が単に不安だからという方もいらっしゃいます。

 

そのような方には、できるだけ不安を取り除く工夫をして、自宅での旅立ちを目指します。

 

この小林さんの想いは、そのような場合とは明らかに違いました。

 

このような人生観もあるのだなあと、温かな心持ちになりました。